『永瀬貴規』81kg級東京五輪代表 悲願の金メダルを獲得に向けて

柔道
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81kg級の東京オリンピック日本代表の永瀬貴規選手をご存じでしょうか?リオ五輪の銅メダリストですので、ご存じの方も多いと思います。

今回は見事に東京オリンピック代表の座を獲得した、永瀬貴規選手をピックアップしてみたいとおもいます。

永瀬貴規 (ながせ たかのり)プロフィール

生年月日: 1993年10月14日 (年齢 26歳)

出身: 長崎県 長崎市

身長:181 cm

階級:81kg級

段位:四段

得意技は内股、足技

永瀬貴規  小学生~大学時代

柔道を始めたきっかけ

永瀬選手の大叔父は過去に世界選手権に2位に入ったことのある柔道家の平尾勝司という人で、その平尾さんが師範を務める道場でお兄さんと共に柔道を始めたようです。

小学校時代

柔道を始めてからは、やはり血筋もあるのでしょうか、メキメキと頭角を表し全国大会に出場するようになり、5年生では全国5位、6年生ではベスト16まで勝ち上がる実力でした。

小学校時代での高藤直寿選手との関係

永瀬選手と同じくリオ五輪でメダルを獲得し、東京五輪代表にも選出された高藤直寿選手と実は、ライバル関係あったとのことで、小学5年生6年生時には全国大会で永瀬選手は、二年連続して高藤選手に敗れたようです。

その後はお互い階級も代わり、お互いが東京五輪代表に選ばれるほどの素晴らしい成長をされています。

高校時代

永瀬選手は、高校2の高校選手権81kg級で優勝後インターハイ優勝、全日本ジュニア準優勝、エクサンプロヴァンスジュニア国際優勝など、

素晴らしい成績を修め一躍日本のトップの座まで昇り上がりました。

大学時代

大学は筑波大に進学、1年の時に全日本ジュニアでとアジアジュニアでともに優勝を飾った

また、3年生の時には全日本体重別で初優勝を飾り、世界選手権代表に初めて選ばれました。

初めて望んだ世界選手権では、健闘むなしく5位。

翌年も世界選手権代表に選ばれると、世界選手権では順当に決勝まで勝ち上がり、決勝戦では崩上四方固で一本勝ちし見事に世界選手権優勝を勝ち取りました。

この81kg級は長年外国勢強く日本人が勝つことができませんでしたが、この優勝で日本選手が初めてこの階級の頂点に立つことになりました。

リオオリンピック 銅メダリスト

永瀬選手は、初出場のリオオリンピックにて、長年メダルから遠ざかっておりました81キロ級で見事に銅メダルを獲得しました。

リオ五輪代表決定時には「何が何でも金メダルを取りたい。相手が嫌がるような柔道をします」とコメントしています。

準々決勝まで勝ち上がりますが、その準々決勝では有効を取られて無念の敗戦。

しかし、敗者復活戦を勝ち上がり、3位決定戦では、当時の世界ランキング1位の選手に勝利し銅メダルを獲得しましたが、リオ五輪後のコメントで「今回のリオオリンピックで、勝利に固執するあまり、安全策をとってしまったため、全力を出せなかったことを悔んでいす」と話し金メダルに届かなかったことから、笑顔なき銅メダルとなりました。

日本人が勝てなかった81kg級

長年81キロ級は外国人選手に優秀な選手が多く表彰台も外国人選手が独占することがほとんどでした。体格とパワーで劣る日本人にとっては「鬼門」と呼ばれた階級でしたが。

しかし、永瀬選手がリオ五輪で銅メダルを獲得してくれました。これは、2000年のシドニー五輪以来4大会ぶり2人目という素晴らしい成績です。

現在も男子81キロ級は強烈な海外勢がそろう階級でありことは間違えありません。

リオ五輪後大怪我から復活へ

2015年の世界選手権に優勝し、翌年のリオオリンピックで悔しながらの銅メダル、次の東京オリンピックへ動き出したてからすぐの2017年夏の世界選手権で右膝前十字靭帯断裂の大怪我を負う事になります。10月に再建手術を行うことを決意。手術後壮絶なリハビリ生活を行い3月から稽古を再開します。一度0に近い所から再度オリンピックを目指すことになりました。

本格的に再開出来たのは、5月中旬くらいからとのことでした。

そのとき「膝も徐々に良くなってきていて、できることをやってきたつもりだった。でもまだまだでした。頭の整理がつかないです」と非常に苦しい心境のコメントを残しているのがいろんな面で大きな怪我だったっと思わせる話であるではないか。

また、大けがから復活した永瀬はこの怪我があったから「(故障前より)成長している」と前向きでこれからが期待しているコメントも残していました。

東京五輪代表争い

代表争いのライバルになりえるのは2018年世界選手権の銀メダリスト藤原崇太郎選手、怪我の影響などがあり本人も周りも永瀬選手の状態を不安視する声も多く聞こえる中、2019年3月のグランドスラム・エカテリンブルグでは準優勝、4月の体重別では準決勝で代表争いのライバル藤原崇太郎選手を技ありで破るとそのまま優勝。

完全復活し一時は閉ざされかけた2大会連続五輪出場への道が大きく開かれた。

グランプリ・ザグレブ、10月のグランドスラム・ブラジリアで続けての優勝。そして11月のグランドスラム・大阪でもライバルの藤原選手に勝利し優勝を飾った。2020年2月のグランドスラム・デュッセルドルフでは初戦で敗れたものの、その後の強化委員会で強化委員全員の満場一致により、東京オリンピック代表が内定した。

「リオ五輪が終わってから挫折を経験した。(その経験は)4年前にはなかったもので、今は自分の力になっている。東京では強い柔道を見せたい」と永瀬選手は決意を胸にコメントしています。

まとめ

屈辱のリオオリンピックでの銅メダル、怪我をしもういちど一から柔道に取り組むことで掴んだ東京オリンピック代表の座。 

様々な経験から得たことは大きく、一回りも二回りも大きくなって東京五輪では悲願の金メダルを日本にもたらしてくれることを期待しながら、応援していきたいと思いました。

頑張ってください。

最後までお読みくださりありがとうございました。次回もご期待できる記事を書けるように努力いたします。

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