こんにちは、みなさんカーネルサンダースって知っていますか?
ケンタッキーの店舗の前に必ず立っている白いシーツおじさんですが、いったいどんな人物なのか、カーネルサンダースは何者なのか、カーネルおじさん像は?、カーネルサンダースの呪いがあるのやら・・・・
早速カーネルサンダースについてチェックしていきたいと思います。
カーネルサンダースのプロフィール
本名:ハーランド・デーヴィッド・サンダース
1890年9月9日 生- 1980年12月16日没(90歳)
ケンタッキー・フライド・チキンの創業者
カーネルサンダースの名前の由来
カーネルサンダースは本名ではありません、このカーネルは、ケンタッキー州が国や州に貢献した人に贈る称号です。
この称号から「カーネルサンダース」と呼ばれるようになりました。
日本では「名誉市民」や「県民栄誉賞」などと言ったところではないでしょうか・
65歳を過ぎても営業を続けケンタッキーフライドチキンを創業した
カーネルサンダースは、若い時からいくつのの職を転々とします、40職以上転職したともいわれています。
信念
しかし、カーネルサンダースは仕事に対しては「できることは全てやれ」「やるなら最善をつくせ」しっりとした信念を持って望んでいたそうです。
サンダースカフェオープン、その後全焼
元々、ガソリンスタンドの経営をしていた時にその横で6席のレストラン「サンダースカフェ」をオープンします。
そしてガソリンスタンドを手放しレストラン経営を行います、「サンダースカフェは」ホテルを併設した140席以上もの大型レストランに成長します。
その頃、カーネルサンダースは、フライドチキンのスパイスの開発を行います、その開発には7年の月日を費やしチキンに合う最高のスパイスを完成させることになります。カーネルサンダース49歳のころでした。
順調に進んでいたサンダースカフェでしたが、ある日、火災で全焼してしまします。
復活、そして倒産
その後、常連たちの助けや、カーネルサンダースに頑張りによりサンダースカフェを復活させることができました。
さらに、フライドチキンの調理法の開発にも取り組み、圧力鍋を使い調理時間を今までの半分にすることに成功し大量生産に成功します。
その甲斐があってさレストランは大盛況をおさめます。
そのな時高速道路ができてしまい、お客さんの流れが一気に変わってしまします。
今まで来ていたトラックドライバーや旅行者が全く来なくなりました。レストランの経営にいきず待っているときに、別の事業に手を出しても上手くいかず多額の借金をしてしまします、そのためにレストランを手放すことになりました。
フライドチキンのレシピ
全てを失ったカーネルサンダースですが、フライドチキンのレシピが残っていたのです。
そのレシピを持ちアメリカ中を営業に回りました、1009軒連続で断られたと言われています、この時カーネルサンダースは65歳でした。
しかしながら、フランチャイズ契約とのかたちで、フライドチキン1個が売れるとその何%かがカーネルサンダースに入るとの契約でした。
あきらめず営業をしたかいがあり、契約に結びつけることができる店が増えてきました。
そんなある時、あるお店で本来必要のない紙製のカップを間違って大量注文してしましました。処分にこまったお店は紙のカップにフライドチキンを入れテイクアウト用に販売したのです。
もともと味は最高でしたので、テイクアウトができる気軽さでフライドチキンは大盛況、テイクアウトができるのであれば、多くの座席はいらず、小さな店でも大丈夫とのことから現在のようなお店に成長していった事のようです。
波乱万丈の人生ですね。
カーネルサンダース像(カーネルおじさん像)
日本のケンタッキーフライドチキンの店舗に立っている白い服を着たおじさんが、創業者のカーネルサンダースです。
日本国内の全ての店舗にディスプレイされているのではなく、人通りの多い所やテナント店には有りません。
きっかけ
もともとカナダのフランチャイズ店がイベントの為に製作したもので、イベント終了後には倉庫にしまってあったものを、視察に訪れた日本法人の幹部が持ち帰ったのがはじまりとなっています。
日本では、フライドチキンの認知を高める役割の為に店舗に立つようになったと言われています。
特徴
このカーネル人形の特徴は、カーネルサンダースが60歳のころの体形(身長180cm、体重90kg)をモデルとなり、眼鏡は本物の老眼鏡で、3.25の度が入っています。
季節にや地域のイベントにあわせて店舗によっては衣装を着替えるカーネルおじさん像が登場したり、ベンチに腰掛ける「座りカーネル」も登場しています。
このカーネルおじさん=ケンタッキーフライドチキンと言うのは、日本では完全に定着していますね。
カーネルサンダースの呪い
これは、プロ野球好きなら有名な話です。
1985年プロ野球の阪神タイガースが優勝したときに熱狂するファンが、カーネルおじさん像を道頓堀川に投げ込まれたまま行方が分からなりました。
その後阪神タイガースの低迷が続きます、その低迷の原因は行方不明になったカーネルおじさん像の呪いと言われました。
2009年に道頓堀川で発見され、一時期阪神甲子園球場の最寄りの店舗で展示されていましたが、現在は日本KFCホールディングス社関西オフィスへと移されています。
ケンタッキーフライドチキンきれいな食べ方
Youtubeにケンタッキーフライドチキンのきれいな食べ方の動画がありましたので紹介します、ぜひ参考にしておいしく食べてください。
まとめ
ケンタッキーフライドチキンの店の前に置かれているおじさんは、ケンタッキーフライドチキンの創業者で、波乱万丈の人生をおくり、65歳以降にケンタッキーフライドチキンの店舗を世界中に拡大することになります。
また、カーネルおじさん像は、日本でのフライドチキンの知名度を大きく上げたのには間違いありません。
早速、ケンタッキーが食べたくなってきましね。
カーネルおじさんとも写真を撮りたくなりました。
今回は最後までお読みいただきありがとうございます。
今後も有益な記事を投稿していきますので、何卒宜しくお願いします。
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