岡本和真(巨人)プロ入り前はどんな選手?高校時代甲子園出場は?

ドラフト野球
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いまや読売ジャイアンツの若き4番打者としてチームを引っ張り続けている岡本選手、広角にホームランを打ち、ここぞの場面でチームを勝利に導くバッティング。

そんな、岡本和真選手の高校時代はどのような選手だったのでしょうか?

甲子園出場についても合わせてチェックしてみましょう。

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岡本和真選手(巨人)のプロフィール

球界を代表する4番打者に成長した岡本選手のプロフィールです。

岡本 和真(オカモト カズマ)

生年月日:1996年6月30日(24歳)

身長:185cm

体重:96kg

出身地:奈良県五条市

2014年ドラフト1位 右投げ右打ち

智弁学園高校→読売ジャイアンツ

背番号:38→25(巨人)

岡本和真選手(巨人)の経歴

岡本選手は、プロ入り4年目に才能が開花します。

22歳でプロ野球史上最年少で、打率3割、30本塁打100打点を達成し巨人の4番の地位を確立していきます。

そんな、岡本選手のプロ入団までの経歴は、

岡本和真選手(巨人)の小学・中学校時代

小学1年生の時に地元の軟式野球チームで野球を始めた岡本選手、当時はピッチャー兼内野手、小学3年生で球速100キロを投げていたそうです。

中学では橿原磯城リトルシニアに所属、2年生の時には全日本中学野球選手権ジャイアンツカップでベスト4に進出するなどチームの中心として活躍。

3年生時にはシニアリーグの日本代表に選出され、アメリカで行われた全米選手権に出場、5割を超える打率を残す活躍で優勝を果しました。

この中学3年生の時には、右肘を剥離骨折し投手として投げれる状態ではなかったようです。

骨折する前の球速は、135キロほどを計測していました。

そんな中で、岡本選手は打撃に注目され、20校以上の強豪高校からスカウトの声が掛かった中、智弁学園に入学することになります。

岡本和真選手(巨人)の高校時代

岡本選手の智弁学園への入学の理由として、地元の強豪校で幼い時から身近な高校であり、憧れの高校であったから智弁学園に進学することを決めたようです。

智弁学園に入学すると、入学直後の1年の春からベンチ入りをすると、1年の秋には4番に座ります。

残念ながら1年生と2年生時には甲子園に出場することはできませんでしたが、1年生時にはホームラン8本、2年生時にはホームラン48本を放ちます。

3年生時には春のセンバツ甲子園と夏の甲子園に出場することなります、ホームラン数は高校通算で73本塁打、また、U-18アジア野球選手権にも出場、この大会は木製バット使用になりましたが、見事に対応を見せて日本の準優勝導きました。

高校時代、主に一塁を守ることが多く時には三塁を守ったり投手として登板することもありました。

岡本和真選手(巨人)の甲子園

岡本選手の智弁学園は、甲子園の常連校ですが、岡本選手は3年生の春と夏の2回甲子園に出場することになります。

春のセンバツ甲子園では、1回戦の三重高校戦では、2打席連続の本塁打を放ち2回戦へ進出、しかし2回戦では佐野日大高校に敗戦。

2回戦で敗退はしましたが、超高校級のスラッガーとして全国に名前を響かせることにもなりました。

その後も、本塁打を量産しむかえた夏の甲子園でしたが、残念ながら初戦で明徳義塾に敗退してしまします。

チームとして高校時代に甲子園での躍進はできませんでしたが、ドラフト会議では右のスラッガーとして注目されることになり、ドラフト1位で巨人に入団することになりました。

まとめ

今や球界を代表するスラッガーと成長し、巨人軍の4番に座る岡本選手、そんな岡本選手は、中学時代から規格外の選手でした。

高校は地元の智弁学園にて高校通算73本塁打を放ち大きく成長しプロ野球選手へと進んでいきました。

岡本選手は、まだまだ若い選手ですので今後の活躍や成長が楽しみな選手の一人です、巨人を引っ張るだけではなく日本球界を背負って立つ選手に成長していってもらいたいです。

プロ野球界の若い選手の記事は他にもあります、合わせてご確認ください。

今回は歳以後までお読みくださりありがとうございます。

今後とも有益な記事を投稿していきますので何卒宜しくお願いします。

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