今や中日ドラゴンズのキャプテンとしてチームを引っ張る存在となった高橋周平選手、そんな高橋周平選手は、どんな選手なのか?
また、プロ野球へ、中日ドラゴンズへ入団する前はどうだったか、プロフィールも併せて調べてみました。
高橋周平選手(中日)のプロフィール
高橋 周平 (タカハシ シュウヘイ)
生年月日:1994年1月18日(26歳)
身長:180cm
体重:85kg
右投げ左打ち
出身地:神奈川県藤沢市
2011年ドラフト1位
東海大学甲府高等学校→中日ドラゴンズ
背番号:31→9→3(中日)
高橋周平選手(中日)どんな選手?
高橋周平選手は、いったいどんな選手でしょうか?
プロ入り数年は活躍することがなかなかできませんでしたが、2018年から出場機会も多く、2019年には打率.297を残し、また月間MVPを獲得するなど中日ドラゴンズの中心選手に成長しました。
高橋周平選手の打撃は
ホームランを多く打つ選手ではありませんが、二塁打が多く中距離ヒッターと言えるでしょう。
柔らかいスイングが特徴で、ポイントを前で打つことを意識しているとのことのようです。
また、固め打ちが多く、2019年の5月には96打数40安打、打率.417、3試合連続を含む8度の猛打賞を記録しました。
この月間8度の猛打賞は川上哲治、イチローに並ぶ月間最多タイ記録になります。
高橋周平選手の守備は、守備位置は
高橋周平選手は、内野手です。
高校時代からサードのポジションをメインに守ってきました。
プロ入り後はサード以外にもセカンドやショートを守ることがありますが、やはりサードを守ることが一番多くなっています。
2019年にはサードでゴールデングラブ賞を獲得しています。
侍ジャパンのサードのポジションは手薄と言われていますので、高橋周平選手がサードとして侍ジャパン入りするのもあるのではないでしょうか。
高橋周平選手(中日)のプロ入り前は
高橋周平選手は甲子園への出場はありません。
そんな高橋周平選手ですが、2011年のドラフト会議では、甲子園出場経験がない高校生野手に3球団(中日、オリックス、ヤクルト)がドラフト1位で競合しました。
これは史上初のことです。
では、そんな高橋周平選手はドラフトで指名されるまではどんな選手でしたのでしょう。
小・中学生時代
高橋周平選手は、小学1年生から野球を初め、ピッチャーでした。
中学は、ボーイズリーグでプレーし中学2年生時には日本一、ジャイアンツカップで準優勝しています。
4学年後輩に中日ドラゴンズでチームメイトになる小笠原慎之介投手がいました。
高校時代
冒頭にも書きましたが、高橋周平選手は、甲子園出場していません。
中学時代から全国大会で優勝するなど注目を集めた高橋周平選手、神奈川県強豪高校からの誘いもありましたが、山梨県の強豪東海大甲府へ入学。
1年生からサードのレギュラーとして活躍することになります。
高校生離れしたスイングスピードと、柔軟性のあるバットコントロールで、高校通算71本塁打を放ちました。
71本は、凄い本数であることは間違いないのですが、当時から飛距離も凄く、140メートル級の本塁打を打つ強打者として恐れられていました。
しかしながら、3年生の最後の夏には山梨学院に敗れ甲子園へは出場できませんでした。
そんな高橋周平選手ですが、周囲からの評価は変わらず高く、日本代表としてAAAアジア選手権大会へ出場します。
AAAアジア選手権では、木製バットの使用になりしたが、問題なく対応し、5試合で20打数10安打13打点と大活躍。
決勝の韓国戦では2ラン本塁打とタイムリーを放ちMVPを獲得、日本の優勝に大きく貢献しました。
高校通算71本塁打、ボールを遠くへ飛ばす力、柔らかいバットコントーロール、甲子園には出場はありませんでしたが、国際大会での活躍などの総合値で非常に評価が高いことが認められ、高橋周平選手はドラフト1位として指名されることになったのでしょう。
まとめ
今回は、今や中日ドラゴンズの中心選手として活躍している高橋周平選手についてチェックしてきました。
高校通算71本塁打を放ち、高校生野手としてドラフト1位で3球団と競合になりプロ入りした高橋周平選手。
中学から相当注目を集めていた選手で、高校でも噂通りの活躍をしていたようです。
今後の高橋周平選手の活躍を大いに期待しましょう。
今回は最後まで読んで頂きありがとうございました。
これからも有益な記事を投稿していきますので、何卒宜しくお願いします。
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